
’00.7 国分寺万葉植物園
’00.6 府中「くらやみ祭り」
’00.5 国分寺の花と木〜バックナンバーより〜
’00.4 早実国分寺に来る!
’00.3 中央線 国分寺駅〜バックナンバーより〜
’00.2 多摩のスーパースター土方歳三(下)
’00.1 多摩のスーパースター土方歳三(中)
’99年を見る

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’00年7月 〜あさがお〜 〜すみれ〜 場内には、国分寺市内の遺跡から出土した土器や石器、国分寺跡からみつかった古瓦などが展示してある資料館もあります。 |
| ’00年6月 府中の「くらやみ祭り」 五月の連休の一日、爽やかな風にさそわれて、府中の大国魂神社の例大祭に行ってみました。この神社は社伝によれば約一九〇〇年前(111年)の創建という日本で最も古い神社の一つです。中心となる神様は、出雲大社と同じ大国様(ダイコクサマ)といわれています。また、ここは平安時代、武蔵国(東京・埼玉・神奈川の一部)に点在する代表的な六つの神社の魂を一ケ所にあつめたため、六所ノ宮、総社と呼ばれてきました。大国魂神社と社名が定められたのは、明治四年のことです。 このお祭りのクライマックスは、五月五日の夕方から始まる八基の神輿の渡御ですが、神事としましては、四月三〇日の早朝、南品川の荏原神社に行き、そこから舟出して海水で身を清めることから始まります。 つづいて五月二日に、鏡を海水で清め、三日に社前で競馬を行い、四日に神輿に網をかけます。 こうして、いよいよ五日の神輿の渡御となるのですが、昭和三十四年以前には、午後十時以降にまっ暗闇の中を神輿が練り歩くので、「くらやみ祭り」と呼ばれていました。 |
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’00年5月 市の花「さつき」 市の木「けやき」 |
| ’00年4月 早実国分寺に来る! 皆様も既にご存じのとおり、高校野球で有名な早稲田実業が平成13年4月に国分寺に開校します、王貞治・荒木大輔も卒業生です。 早実は来年2001年2月に創立100周年を迎える伝統校で、卒業生のほとんどが早稲田大学に進学する早稲田大学系属校です。 移転先は、本町1丁目にある、元新日鉄の清明寮及びグランドの跡地で54000uの広さがあり、24000uの校舎が建ちます。ここに中学生約600人、高校生約1200人、教職員約150人総勢2000人が新しい国分寺の仲間に加わります。現在は男子校ですが2002年には男女共学の予定があるそうです。 国分寺の街もまた新しい変化がおこりそうですね。 |
| ’00年3月 中央線 国分寺駅〜バックナンバーより〜 中央線国分寺駅は、近代的なビルが建ち、西武国分寺線、西武多摩湖線が分岐する、多摩地区の重要な交通拠点となっています。今回は、この中央線の発達をみてみましょう。 明治5年新橋-横浜間に鉄道が開通して以来、東海道、東北道、などの主要街道に沿う形で鉄道が次々と誕生しました。甲州街道にならんで開通した甲武鉄道(現在の中央線)もこの様な時代の中で計画され、最初の工区である新宿-立川間は、着工からわずか8ヵ月という超スピード工事で開通しています(明治22年4月開通)。この区間は、当初甲州街道沿いを通過する予定でしたが、当時その地方の中心だった府中町から「鉄道が通ると、宿場客が減るだけでなく、蒸気機関車の出す煙で桑畑がダメになってしまう」などの反対意見が出ていたので、少し離れた武蔵野に移されました。この為、原野を一直線に切り開くというやり易い工事になり、短期間で開通することが可能になったというわけです。また、このことから、東中野ー国立間21・7キロメートルは、北海道室蘭本線、函館本線についで日本で三番目に長い直線区間ともなっています。 この話には後日談があります。甲武鉄道の駅が出来たことにより賑やかになってきた国分寺に対し、鉄道を通すことに反対した府中は後悔して、なんとかして甲武鉄道と連絡をとろうとしました。府中ー国分寺(国分寺街道)に乗合馬車を通すことを計画し、これに要する費用はすべて府中町が負担するといった熱の入れようだったそうです。 明治39年に鉄道国有法が公布され、甲武鉄道は10月1日に国有化されました。これは、北海道炭鉱鉄道とともにもっとも早い買収で、甲武鉄道の重要性が窺われます。 |
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’00年2月 1.士道に恥じることはしない。 以上違反したものは全て切腹、さらに陣中法度では、戦場においてリーダーが戦死したら、部下はその場で死ぬべしというすごいものでした。 |
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’00年1月 しれば迷い ……なんだかあの恐い |
| 寄稿:横溝範治(税理士) 国分寺市本町2-23-6千代鶴ビル202 横溝会計事務所 電話:042-321-9583 会社・個人、税金のことならなんでもお気軽に御相談ください。 |